目黒区内の名のある坂道と由来
参考資料 めぐろの文化財・みどりの散歩道
坂のまち目黒 あらまし
目黒区が坂の多いまちだといわれるのは、起伏に富んだ特異な地形に関係がある

 

それは、台地と台地をきざんで流れる目黒川・立会川・呑川の浸食作用による地形の変化が、坂をつくってきた。

目黒川の浸食は、上流部では浅く、下流部では深い谷を作り、深いところでは台地面から20メートル以上もある。
立会川は、深さ2,3メートル位の幅広いくぼ地をつくって流れ、呑川は、川の西側を浸食して深さ10メートルぐらいの谷をつくっている。

このことから、右図ののように目黒川と呑川付近には坂が多く、しかも急な坂が目立つ。

かつての目黒は 「江戸名所図会」などでも知られるように、目黒川付近の坂上からは眺めがよく、富士山を見るのに絶好の地にあり、江戸市民の行楽の地として栄えてきた。

名のある坂道と由来

坂の名称
所  在
由緒(坂道の由来)
備 考
行人坂
ぎょうにんさか
下目黒1丁目の大円寺前を下る 寛永の頃、このあたりに湯殿山行人派の寺があり、修験行者が往来したことから。
権之助坂
ごんのすけざか

JR目黒駅から目黒通りを西へ向かう坂

中目黒田道にいた名主菅沼権之助がこの坂を開発したので、 権之助といわれている。
三折坂
みおりざか
下目黒3丁目と4丁目の、目黒不動西側を曲折しながら南東にに下る坂 三折に曲がっている形状から。坂上は土山と呼ばれていた藪で竹の子がとれたという。
石古坂
いしこざか
下目黒5丁目から品川区の境、目黒不動門前町から戸越方面に向かう坂 石ころの多い坂だったからとか、坂下の小川石河(飲み水になるような清流)から石河坂の名が生まれ、イシコ坂に転じたとかいわれている。
金毘羅坂
こんぴらさか
大鳥神社から目黒通りを西南に上るゆるやかな坂 この坂の中央西側に、もと目黒三社の一つである金毘羅社(曹洞宗の寺があり、明治初年に廃寺)があったことによる。
十七が坂
じゅうしちがざか
目黒3丁目3番の庚申塔の前から南東に下る短い急坂 この坂のあたりに戸数17軒から成立した集落があったからと伝えられている。
馬喰坂
ばくろうざか
目黒3丁目と中目黒4丁目の境の坂 切り通し工事をしたが、路面がいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので。(このような状態を古い方言で、ばくろと言う)
茶屋坂
ちゃやざか
中目黒2丁目と三田2丁目の境を茶屋坂トンネルの上から東へ下がり田道少前に至る坂道 江戸時代に将軍が目黒へ鷹狩にきた時、よく立ち寄ったと言う「爺々が茶屋」と呼ばれた一軒茶屋があったことによる。
けこぼ坂
駒沢通、り正覚寺から祐天寺に向かう坂 古くから何回か坂の両側の土手を切り崩す工事をしたが、崩れやすく赤土のかたまりがざらざrこぼれていたので。(この状態を方言で、けぼこと言った)
なべころ坂
中目黒4丁目13番と16番の間(元ガスタンクのあった北側)の坂 昔、鍋が転がるほどの急坂であったのでという。また路面に赤土のかたまりがごろごろしていたのでという伝えもある。
目切坂
めきりさか
上目黒1丁目と青葉台1丁目の境を西へ下る坂 昔、この近くに石うすの目切りをする石工(伊藤興右エ門)が住んでいたことから、また、斜め切り通しだったので、目切り坂と呼ぶようになったともいわれる
上村坂
うえむらさか
青葉台1丁目6番と8番の間を目黒川の方へ下る坂 明治時代、この坂の上に、海軍大将上村彦之丞邸があったので。
別所坂
べっしょさか
渋谷区境から中目黒1,2丁目境を目黒川田楽橋に下がる折れ曲がった長い坂 この坂を下ったところが別所と呼ばれた地名のところだったことから。(別所とは開墾地の集落を意味した地名)
新道坂
目黒川から駒沢通りを恵比寿へ向って上る坂 別所坂と目切り坂の間に新しく開かれた坂なので。
柿の木坂
目黒通りの環七交叉点から西へ都立大方向へ下る坂 この坂の途中に大きな柿の木があったので。また、付近の子供がこの坂を通る野菜を運ぶ荷車から柿を抜き取ったため「柿抜き坂」が変わって「柿の木坂」となったという。
相の坂
あいのさか
青葉台3丁目2番と5番の境を南へ、菅刈小の西脇へ下る坂 大坂と新道坂の間(あい)にある坂なので。
松見坂
まつみさか
駒場1丁目と大橋2丁目の境。山手通りから西に駒場に進む道を新遠江橋まで下る坂 昔、道玄太郎という山賊がおり、この付近にあった松の大木に登って、旅人をねらっていた、そんな話から松見坂とついた。また坂の途中に「松見地蔵」があったので坂名になった
大坂
おおさか
青葉台4丁目7番と8番の境にある坂 厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった48坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので。
小川坂
中目黒駅の西方、山手通りから上目黒3丁目と東山1丁目の境をカーブして西南へ上がるゆるやかな坂 宿山の旧家、小川家が、この辺り一帯に広い土地をもっていた事による。
半兵衛坂
上目黒5丁目の寿福寺前から」南へ蛇崩川へ下る坂 この地の旧家清水家の先代清水半兵衛の名からとった
稲荷坂
上目黒3丁目と4丁目の境を諏訪山橋に下る坂 この地の旧家田中家のとげぬき稲荷社があるので
謡坂
うたいさか
上目黒4丁目と五本木1丁目の境界道路上の坂 この坂の近くに謡の好きな人が住んでいたので。
どぜむ坂
碑文谷警察署前から目黒通りを東へ下る坂 どぜむは堂前(どうぜん)の意味で、昔このあたりの道端に祠堂があったことから。
天神坂
てんじんざか
八雲1丁目と柿の木坂1丁目の境道。都立大の東脇を南東に下る坂 坂の東側に北野神社があり、この神社に天神(菅原道真)を祭ってあるので
化坂
ばけざか
八雲3丁目4番と5番の間を自由通りへ下る坂 湧き水の出る所を「はけ」といっていた。それがなまって「ばけ」となり坂名になった。 また、衾と深沢の境を分けるので「分け坂」とも呼んでいた。
氷川坂
八雲2丁目氷川神社前から南方自由が丘方面に向かって上がる旧二子道の坂 近くに氷川神社があるので氷川坂と呼ぶようになった
この坂下のあたりを、今でも坂口と呼んでいる
しどめ坂

目黒通りから八雲三丁目11番と12番の間を呑川緑道の方へ下る坂

昔、このあたりにしどめ(草ぼけ)が群生していた事から、この坂名がついた
太鼓坂
たいこさか
目黒通りから八雲3丁目12番と24番の間を北西に呑川の方へ下る宮前小正門前の坂 昔、この坂の斜面が太鼓のような形をしていたので太鼓坂とよばれるようになった。
谷畑坂
やばたざか
自由が丘2丁目と3丁目の境。 旧衾の字名「谷畑」にあるところから谷畑坂とよばれた
睦坂
自由が丘1丁目19番と20番、21番の間を目黒通り方向へ上がる坂 この坂は、耕地整理によってできた坂で、付近に住んでいる人達によって、親睦を願ってつけられたもの。
寺郷の坂
てらごうのさか
中根2丁目と緑ヶ丘1丁目、2丁目の境の坂 旧衾村の字名「寺郷」というところにあるのでついた。
鉄飛坂
てっぴざか
平町2丁目と大岡山1丁目の境を西方呑川の中里橋まで下る坂 旧衾村の小字名「鉄飛」が坂名になった。「鉄飛」とは、ポルトガル人テッピョウスという人住んでいたとか、鉄砲鍛冶がいたからともいわれている
鶯坂
うぐいすさか
大岡山2-4-2と1-21-4の間を呑川の方へ下る坂 両側に杉小立と竹林があり、ウグイスが良く鳴いていたので、鶯坂と呼んだのであろう



めぐろの文化財 他 目黒区教育委員会 ・郷土資料室の文献を元に作成

   
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