ばくろ坂・十七ヶ坂

この地域の地勢的な特徴は、北東に目黒川(低地)、南東側は大鳥神社あたりから南に向かって緩やかな高台になっているが、
目黒3丁目中目黒4丁目あたりは、急斜面の高台になっており、
それが西端のばくろ坂と南端の十七ヶ坂である。

ばくろ坂

ばくろ坂は、低地の新寺(現在の長泉院)道りから、
高地の庚申道(宿山、諏訪山から烏森あたりから目黒不動尊へ通じる道)
 に通じていた。坂の傾斜は急で、険路であった。

そこで切り通しの工事をしたが、それは坂上の路面を切り下げ、その土で坂下の路面を高め、坂全体の傾斜を緩めることであった。
しかし、頂上部には庚申道が交差していたので、思い切った切り通し工事ができなかった。
そのため、路面はいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので、
人々はこのさかを、”ばくろ坂”と呼んだのだという。

ばくろとは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す、目黒の方言だという。



ばくろ坂

十七ヶ坂

旧田道裏地域の庚申道の南端にある

切り通しの工事をすればよかったのに、何故か全然されなかったという。
それは、坂下から南西寄りに迂回する道が別にあったからである。

そのため、前者はもっぱら若者達が利用していたので、
人々はこの坂を「十七ヶ坂」と名付けたといわれる。

じゅうしちとは、ばくろと同様、昔の目黒の方言で、元気な若者という意味なのだそうである。

十七ヶ坂の東側一帯は旧毛利候邸跡であり、現在は毛利マンションが建っており、あたりは高級邸宅街である。

 

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十七ヶ坂


庚申塔